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ピアニスト故松浦豊明氏のこと 1 中川 伸

 中川伸とフィデリックスのことも、トーンアームとターンテーブルのことも、続編を書こうとすると故松浦豊明氏のことに触れずには先に進めません。松浦氏は日本を代表するピアニストでした。チャイコフスキーコンクールで入賞し、ロン・ティボー国際音楽コンクールでは審査員全員一致で第1位グランプリ受賞をしました。ヨーロッパで活躍後の1969年に帰国し、永田音響設計に依頼して練馬に広いスタジオを作りました。そこに憧れのJBLの4350をセットしましたが、思うようには鳴りませんでした。
 そこで白羽の矢が立ったのが音楽事務所であるミリオンコンサート協会に所属しながらも、オーディオ評論家であった故江川三郎氏でした。その立場から著名なアンプたちを借りましたがやはり思うようには鳴りませんでした。そこで江川氏は鳴らしにくいコンデンサースピーカー用に開発されたスタックスのDA-300を思い出し、テストをしたら、ようやく鳴り始めたということです。
 それ以来、私は設計者としての縁が出来て、スタジオには何度も駆り出されることとなりました。この際、販売店側で色んなデモ機のお世話をしてくれたのが当時は秋葉原に何店舗もあった木村無線の黒澤直登氏(現テクニカルブレーン代表取締役)でした。すでに黒澤氏はDA-300を所有していて、この時以来の長い付き合いとなっています。プリアンプも散々試した挙句にマークレビンソンのJC-2に決まりました。ちなみにこの組み合わせは期せずしてマークレビンソン社の試聴室と同じでした。フォノモーターはDENONのDP-5000Fですが、ことはここから始まりました。
 松浦氏が音揺れで船酔いするみたいだと言い出したのです。江川氏と私には音揺れとは感じられず、スペックも優れているので腑に落ちませんでした。江川氏はピアノの弦3本が揃っていないことによる唸りではないですかと問うと、松浦氏は「私はピアニストです。」と答えたので、これはなんとかするしかないんだよな!となりました。テクニクスのSP-10に変更すると、いくらかマシになったもののまだ揺れるというので、では揺れないものはありますか?と尋ねると、ブラウン(独製)の古いアイドラードライブは揺れないとのことでした。シルバーボディーで、木枠には丸みのコーナーがあったと記憶しています。
 その後にいろんな実験を繰り返すと、どうやらイナーシャを追加すると揺れが少ないと感じるらしいことが分かってきました。それと同時に江川氏や私が揺れとしては感じられなくとも、低音の力感というか腰の強さが感じられる音は揺れも少ないという関係が分かってきました。ああ!揺れとはこのことだったのかと。
 それで江川氏は音の大小によって回転が揺れると考え、そのことをオーディオ誌に何度か書きました。それにいち早く反応したのが、テクニクスのSP-10を開発した小幡氏でした。内周にテスト信号を入れた特別な盤をテイチクレコードで製作し、音楽を掛けながら内周を別なアームで揺れを測定をしたら、そのような現象は検知外でした。とても立派な努力です。小幡氏は測定器で検知できないから人に聴こえる筈は無いと判断し、このようなことを江川氏が書き続けるなら、評論家生命を終わらせますよ、と警告しました。対する江川氏の返答は「どうぞ」でした。そこで小幡氏は色んな雑誌社に圧力を掛けることになったようです。でも評論家人生は終わらなかったのと、その後には、SP-10の後継機種も含め、より高性能なプレイヤーは色々と出現しました。
 今にしてみれば、小幡氏は「超人的な能力を持った人には検知外であっても音揺れとして聴こえるかも知れないが、普通の人にはすでに十分な性能を持っている。」とすれば良かったかもしれません。
 この時期、オーデックスジャパンは輸入していたLINN社のLP-12のデモで、SP-10との鳴き比べを日本のあちこちでやりました。結局のところ松浦氏はEMTの927や、ガラードの401や301やレンコのL-75 やBSRといったアイドラートライブばかりでした。これらの動作から江川氏は高速イナーシャを思いついたと思います。巨大なターンテーブルなどもここのスタジオの経験から生まれました。
 松浦氏はピアノ曲の再生をしては、スタジオのフルコンサートピアノで同じ曲を弾き、そして同じに近づけるよう高度な要求をするので、受ける方は大変です。また、奥様は、ドイツで矢野茲として活躍していたソプラノ歌手です。フリッツウンダリッヒ氏と第九のソリストとしても共演しましたし、魔笛の夜の女王などの高い声を得意としていました。彼女の先生はエルナ・ベルガー女史で、そのレコードを掛けてもあれこれ言います。こんなことは物凄く刺激的で、とても面白かったので、その頃は毎週のように通い、1974年から1984年にかけては通算100回位通ったと思います。ここでは色んなことが起こり、その多くは江川三郎実験室にも書かれてもいますが、私の印象も順次書くことに致します。音楽家の耳と視点はとても貴重で、ここで鍛えられたことが私にとっては最も大きな財産になっています。(2016年4月29日)

 矢野滋氏のCDと第九でウンダリッヒ氏と競演したCDの写真

  
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