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なぜ音は聴こえるのか? 中川 伸

 一瞬を切り取った静止画は存在しても、一瞬を切り取った静止音は存在しません。つまり、一瞬には音が存在できないのです。ご存知の通り、音の3要素は、周波数、大きさ、音色ですが、いずれもが、少なくとも1周期という時間を経過しないと分からないものばかりです。たとえば走る電車の窓から景色を見る場合、窓が1cm以下と狭ければ、流れる外は何であるかが認識できません。しかし、幅が1mもあれば、遠くの山や人や車などが認識できます。つまり、流れ行くものを認識するにはそれなりの幅が必要という訳です。
 同様に音という時間を流れるものを認識するにも、ある幅が必要なのです。音を分析するスペクララム・アナライザーには電車の窓の幅に相当するゲート時間というのがあります。そこで、人間の聴覚にもゲート時間に相当するもの、視覚に例えれば残像に似たものがあるだろうということで、その時間を計ろうとした人がいます。NTT厚木研究所のK氏です。音を断続的にすることでいろんなことが調べられます。
 氏の研究の中で分かったことですが、音声、無音、音声、無音とすると、いかに無音時間を短くしようとも断続感は残るとのことです。しかし無音をピンクノイズに入れ替え、音声、ピンクノイズ、音声、ピンクノイズとすると、連続して聴こえるようになるというのです。つまり、ピンクノイズはトランプのジョーカーのように、どの音とも親和性の良い接着剤として働くのです。この話を聞いたのが、ハーモネーターSH-20Kを開発して、数年経った頃なので、非常に驚きました。ハーモネーターは失われた20kHz以上の修復に音楽信号と親和性の良い20kHz以上のピンクノイズを使ったからです。情報理論からして当然ながら元の波形は再現できません。しかし、TVでも印刷物でも元の色スペクトルとは異なった3原色で成り立っています。要するに人間を上手く騙せば良いということになります。
 話を戻しますと、聴覚のゲート時間を調べてみたらそれは一つではなく、幾つもあるようです。つまり人間の脳内には何種類ものスペクトラムアナライザーが入っていて、それらが有機的に結合し合っているかのように振る舞いらしいのです。おそらく訓練によってその結合度は増してゆくことでしょう。なかでも特に中心的に働いているのが、ゲート時間1mS〜3mSを受け持っているものとのことです。ここでまたまた驚きました。ハーモネーターは試聴実験を繰り返した結果、自信を持って時定数2.2mSの時間遅れを意図的に作り出して追加しているからです。
 楽器には適度な余韻が有りますが、これは立ち上がりの部分で共鳴体が吸収したエネルギーです。したがって、楽器は適度な時間遅れを持つことになります。ハーモネーターでの試聴実験で分かったことですが、追加する時定数が長いと粘っこく鈍い感じになり、短いと軽薄な感じになってしまいます。名器の響きは2.2mS付近だと痛感しました。この2.2mSの数字から無理やり周波数に換算すると約450Hzで、音楽の基準になっているラの440Hzに近く、1〜3mSは330Hzから1kHzなのでちょうど会話の主要な周波数成分あたりになります。
 オーディオには不可思議なことも多々ありますが、オルソンやフレチャーマンソン時代の古い音響理論だけでは、もはやオーディオの謎は説明できないということであって、脳内の信号処理能力の凄さにまで踏み込まなくてはならないということでしょう。
 さて、以上のことを踏まえ、改めて注意してみると、あたかも残像のように、脳内でエコーのごとく確かに音が蓄積し、それを何種類ものスペクトラムアナライザーが有機的に結合し合いながら周波数分析することで、会話や、音楽が聴けていることが感じられます。オーケストラの指揮者は誰かが間違った周波数を出せば、即座に指摘できなければ認められません。人間の能力は訓練すれば音響測定器の比ではありません。すると、人間の脳の物凄い潜在能力に感謝すると共に、会話や音楽を聴くことで相当に脳を良くするように思えてくるではありませんか?

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