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DCアンプとA級アンプのはなし 中川 伸

 世界初のDCアンプは米国CROWN社のDC-300で、1967年に発売されました。後にブランドはAMCRONへ変わります。DCアンプは直流を再生することよりも、カップリングコンデンサーの色付けを無くすことに主な意味があります。
 私は1969年にソニーのオーディオ設計部門に入り、TA-1120Fの設計に携わりましたが、その時に、自分用のDCアンプも設計して使っていました。初段はTX130(後に正式名称2SK35)の差動、2段目はJRCの2SA621の差動、出力段は2SA527と2SC895とTX183(後に正式名称2SD88 ?) 2個を組み合わせた準コンプリメンタリーでした。今にしてみれば、差動2段というごくオーソドックスな回路構成です。実はこのとき、すでに10W位のA級アンプにしていました。というのは、その前に私はムラード型6BX7のPPを自作して使っていたのですが、トランジスタのB級アンプは弦楽器や女性の声がささくれた感じになってしまい、どうしても違和感があったからです。そこでDCアンプでA級プッシュプルにしてしまったと云うわけです。1969年のことですから、おそらく世界初だったと思います。
 原音比較法を始めたのもこの頃からです。-20dBのアッテネーターの後にゲイン20dBのアンプを組み合わせ、これをジャンプした音と同じになるよう色付けの無いアンプ研究をひたすら進めることになってゆきました。自作のA級アンプはその一環でした。
 その後に私はコンピューターや計測器の会社を経て1972年頃からスタックスに関わりますが、ここでESS4AやESS6Aというコンデンサースピーカーを鳴らしきるためのアンプ設計をすることになりました。能率が低いため、150W+150Wというハイパワーが必要でした。その時も、なんとかB級またはAB級でやってみようと試みたのですが、ものすごく音の反応が敏感なコンデンサースピーカーだったため、どうしてもA級になってしまいました。このDA-300は1974年11月の発売でした。差動2段が一般的な時代にあって、初段にカレントミラーを使った最初のオーディオDCアンプだったことでしょう。その2年近く前からオーデォフェアや雑誌などで試作品は発表していましたが、A級アンプの製品化においてはヤマハのCA-1000の方が早かったと記憶しています。
 マークレビンソン氏がスタックスに来社したときに、彼はできたての2代目プリアンプJC-2について私に話をしてくれました。スタックス時代に私がアメリカに出張したときは、マークレビンソンの会社にも伺いました。彼はスタックスのコンデンサーカートリッジ(CP-X)に大変に興味を持って自分のブランドで販売したい意向でした。私はあまり安定には使えないことを説明したのですが、音が気に入ったので非常に熱心だったことがとても印象的です。
 1976年に、私はFIDELIXを設立したので、別な技術者がDA-300の弟分にあたるDA-80やDA-80Mを設計しました。回路構成は全く同じです。この頃、日本人がマークレビンソンの会社に訪れると、そこで使っていたパワーアンプはスタックス製だったことに驚いたという話を聞きました。1977年になってマークレビンソンはA級で25Wの巨大なパワーアンプML-2を作ったのです。同時にハートレーのウーハー、クオードのスコーカー、デッカのツイーターを使ったHQDシステムも製品化しました。望む音のためには他社ブランドも気にせず取り入れるところがマークレビンソン氏の魅力でしょう。
 1980年に、FIDELIXでは巨大でなくとも高音質を得るには、と考えA級でリアルタイムBTLのLB-4を作りました。2つのアンプが電流を打ち消し合うので電源変動が無くなって超強力になったのと同じ効果になります。このA級BTLも世界初です。原音比較によって、正確な音をひたすら目指し、リモートセンシングによってスピーカーコードによる色付けまでも補正するというものでした。
 今、セリニテー電源を使ったパワーアンプの細かい技術を熟成中ですが、これはクロスオーバー歪やノッチング歪の生じない進化した特殊なAB級です。大きくて重くて熱い製品を作る前に、最大限の知恵を搾り出すのがFIDELIXの流儀です。そのため、技術の熟成が終わるまで今しばらくお待ちいただければ幸いです。

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